我慢すると幸せになれない理由1 vol.25

幼いころ、私はよく「我慢しなさい」と言われました。

「わがままを言うもんじゃない」とも言われたものです。

だから本当に長い間「我慢することが正しい」と思い込んでいました。


あなたはいかがですか?
そのようなことを両親に言われた経験はありませんか?

今私はこの我慢こそ「するもんじゃない」と知っています。

もちろん咄嗟には我慢しなければならないことはあるでしょう。

でもその後で自分はそこで「どんな気持ちフタをしたのか?」「本当はどうしたかったのか?」を確認する必要があります。


なぜかって我慢し続けたままだと自分の本音が分からなくなってしまうから。


本音が分からないまま生きると、それは惰性の生活、消化試合の生活、ただ流されて生きることになってしまうからです。


そこには喜びがありません。



私はやりたいことが特にない、そんな月日があまりに長かったです。

大学受験の時は確かに行きたい大学がありました。

希望に燃えて勉強したのを覚えています。

でもその後はというと、情けないことに無難に生きることをいつも選択してきました。

就職活動も、もしかすると結婚もそうだったかもしれません。


「ただ苦痛を避けて生きてきたのかもしれない」と気づいたときは、認めるのが怖くて。


でも認めるしかなくて。


しばらくの間全身の力が抜けたのを覚えています。


我慢を繰り返して自分の感情が分からなくなり、やりたいことがその感情の陰に隠れて全く見えなくなってしまっていました。


それが40歳をすぎて夫に勧められるまま教員免許を取り、英語を教え、50歳をすぎて教員採用試験を受けて情緒障がいの中学生の担当になりました。


あの時は「もう英語は教えられない」とがっかりしましたが、今は、もし彼らに出会っていなかったらと考えると心底ゾッとします。


「どんな人生の終わりを迎えていただろう」と思うのです。


彼らに会い、彼らの感情に向き合うようになるまで、私は感情を無視して、我慢している自覚もほとんどなくなるほど
我慢に我慢を重ねて生きていました。


我慢は第2の感情と言われていて、

悲しい、
つらい、
嬉しい、
嫌だ、

などの第1の感情にフタをし、表現しないことで生まれる感情です。


振り返ってみると私は本当に辛かったし、悲しかったし、心から自分の人生を変えたかった、なのに、我慢しすぎて
そんな感情も願いも心の奥底にしまい込んで、「悲しい」とさえ感じられずに生きていました。

余裕がなく、やりたいことも、夢も、分からなかった。


他の人の話を聞いて、「こう生きるべきなのだろうか」「あ〜した方がいいのだろうか」と何の確信も持てないまま、上っ面の情報を集め、流されて生きていました。


あなたはいかがですか?


あの時の私ほど我慢を重ねて生きていないことを心から願っています。


そしてもし「かなり我慢しているかも」と感じられるようでしたらちょっと立ち止まって、我慢してどんな気持ちを抑えたのか、そして「本当はどうしたかったのか」をその都度確認してあげていただけたらと心から願っています。


お試しカウンセリング、毎月先着5名さま
90分12000円のところ、1000円で受けられます。


もし我慢の生活が続いているなら、お待ちしています。お気軽にご相談ください。





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