私たちは子どものころから「正しい答え」を探すように育てられました。
テストには正解があるし、家庭でも学校でも、「これはダメ」「こっちが正しい」と教えられる。
大人になっても「正しい生き方は」とか「間違った選択をしないで」という言葉がメディアなどから聞こえてきます。
私も本当に長い間この思い込みに囚われて苦しかったです。
選んだ後まで「本当にこれでよかったんだろうか」「間違っていたらどうしよう」と思ったものです。
「正しい答え」は幻想
あなたも、「この選択でよかったのかな?」「自分のやってること間違ってないかな…」「もっと正しい方法があったんじゃないかな?」とか、
「もっと調べるべきだった」「〇〇さんにも相談すればよかった」と自分を責めることはありませんか?
でも、そもそも正しい答えなどどこにも存在しないとしたら、どう感じるでしょうか。
正解は無数
たとえば「カレーの作り方」に正しい作り方はあるかと考えてみると…
具材が違う。
辛さも違う。
隠し味もそれぞれ。
お醤油を入れる人もいれば、コクを出すためにチョコレートを入れる人だっています。
どれも作り手にとって「美味しい」と感じられれば正解です。
人生はカレーよりずっと複雑で、いろいろ絡み合っている分、もっとずっと選択の幅があり、自由度が高いのです。
「これが正しい!」なんて決められないし、あなたが選んだ道が「間違いだった」なんて、誰にも言えることではありません。
どこかの時点で仮に「自分は間違っていたかも」と感じたら、そこから「正解」と感じられる方向に舵を切ることだってできます。
まだまだ人生は終わっていないのですから。
何を選んでもいい
人生は選択の連続です。
仕事、家族、住む場所、
友人関係、趣味、
時間の使い方に至るまで、
毎瞬、いろんなことを選ぶしかありません。
意識的に選ぶだけじゃなく、無意識にも(習慣的にも)選んでいます。
何もしないことだって選んだ結果です。
大事なのは「どれを選んでもいい」し、「どれを選んだとしても正解にしていくことができる」とリラックスすること。
するとできることがいろいろ見えてきます。
選んだところからもうとっくに始まっているんだから、その選んだものにエネルギーを注ぎ、意味を持たせていく。
大切に育てていくと思えたら、「まだまだできることはある」と思えてきます。
仮に「失敗だった」と思ったり、「遠回りだった」と感じても、選んだ時点まで戻って否定する必要はありません。
どれも幸せのための貴重な経験としていったん受け取ってみるといいです。
いのちを終わらせてしまうと、この地上での体験も終わってしまうので、それだけは避けたいところですが。
自分の感覚を信じていい
正しい答えがあると思うと「こっちを選んだらダメかも」「あっちがよかったのかも」と不安になります。
でも、「正解はない」と知れば、迷ったり後悔することに多くの時間や労力をかけることはなくなります。
選ぶときも、「これがいい気がする」「なんとなくこっちの方が楽しそう」と気楽に選ぶことができます。
「やっぱり違ったな」と思えば、また選び直したっていい。
誰かにとっての正解が、あなたにとって苦しい選択なら、「それは自分には不正解」と思ったっていいわけです。
大切なのは後悔ではなく、今この瞬間の可能性に目を向けられることです。
ぜひあなたがした選択を、あなたにとっての正解なるようできることをしていただけたらと思います。
あなたは間違っていないし、諦める必要もありません。
そもそも「間違い」なんて、どこにもない、経験があるだけ、と感じていただけたら嬉しいです。