どうすればいいか分からなかった
私は世間体や見栄のために生きていた時間が非常に長かったです。
周りの人にどう思われるかが当時の私にとって非常に重要なことだったのです。
それは
「子どもの意見など聞く必要もない」
「子どもは黙って親の言う通りにしていればいいんだ」
という在り方で生きていた父親絶対の家庭で育ったことで培われた習慣だったと分かります。
友人との会話の中で、
「私はこうしたい」
「私はこうする」
と迷わず選択する人を見て、
「どうしてこの人はこんなふうに決められるんだろう」と不思議に思うことがあったほど、私は自分の考えというものがなく、世間で良しとされているとおりにすることが人生の正解だと本氣で信じていました。
今でも悔やまれるのが大学受験のときの学部選びです。
あのとき自分の興味が赴くままに選択できていたら学生生活も、その後の職業選択も変わっていたかもしれないと思いますが、父に言われるまま全く興味が持てない法学部を受験したことで、チャランポランな学生時代を過ごすことになりました。
結婚後に至るまで、父に言われたとおりに法律の勉強を続けていたほどです。
子どもたちも父の眼鏡に適う人間に育てたいという思いがあり、子どもたちにも申し訳ないことをしたと今でも感じるところがあります。
50代になって知ったアダルトチルドレン
あるときアダルトチルドレンというコトバを知って、初めて私は「ここから新たに始めよう」と思うことができました。
このコトバを知るまでは確固たる考えを持てない自分を情けないと思っていたからです。
アダルトチルドレン(以下AC)とは安全な場所として機能しない家族の中で育った人々であり(斎藤学「すべての罪悪感は無用です」)
現在の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人のことを言います(信田さよ子「アダルトチルドレン」)
斎藤学氏は「子ども時代に愛着対象(親)からトラウマを受け、それによって力を奪われた人たち」という表現も使ってACを定義しています。
自分の考えを持つという当たり前のことができず、強く主張する人につい従ってしまっていた私はまさに「自己決定するという力を奪われた」ACで、「それは事故にあったようなもので自分のせいではなかったのだから、自己決定して自分の考えが持てる大人としてここから生きていけばそれでいいことなんだ」
とそう思えるようになりました。
両親は何年も前に他界しましたが、頭の中の両親のコトバに氣づくまではその影響下にあったのですが、今はそこからすっかり自由になり、快適に過ごせるようになりました。
アダルトチルドレンのタイプはさまざまで、私のようなタイプはむしろ少数派かもしれません。
「もっと頑張って」と言われ続けたことで、頑張っても頑張っても自分にOKが出せず「自分はまだまだだ」と感じ続けてしまったり、
母親に受け止めてもらうどころか母親の愚痴の聞き役を強いられたことで、子供のころから母親の感情のゴミ箱にされ続けてきたりと現象はさまざまです。
ですがいずれにしても今生きづらさを抱えていて、それが親に強いられてきたことに起因すると感じられる場合は、ACを疑ってみることは自分責めがなくなる点で非常に有意義だと感じています。
奪われた力を取り戻す
ACだと認めることができたらあとはACとしての習慣を少しずつ脱ぎ捨てるようスタートすればいいことです。
そしてここで大切なことは頑張ることではないと知ることです。
進む方向はその真逆で、「頑張らなくていいんだよ。そのままでいていいんだよ」と自分に言い聞かせてあげることです。
ゆったりと自分自身に向き合う時間を作り、自分の要望をていねいに聴き取ってあげるといいです。
これは一人では難しいですし、できたとしても時間がかかります。
それは向き合うといっても一体どうすればいいのか、具体的に何をすればいいのか、そこで大切なことはどんなことなのか、最初は一緒に取り組んでもらうことで分かってくることだからです。
それは知識の問題というよりも体験していく問題だからです。