私は50歳になっても自分がどうしたいのか分からないことが多かったです。
どうしたいか分からなかったので、周りの人に受け入れてもらえるかどうかで判断し、どうするかを決めていました。
それは
「子どもの意見など聞く必要もない」
「子どもは黙って親の言う通りにしていればいい」
という考えの父親のもとで育ったことが原因でした。
「どうしたいの?」
「これについてどう思う?」
と訊かれた記憶がなく、どうしたいかを考えるチャンスは与えられることなく、いつも父親が決めたことに従っていました。
短気で独りよがりな父に可愛がられ、怒られずに済むには、「自分はどうしたいのか」「自分には何が必要なのか」を考えないでいることが必要だったのです。
社会人になっても、
「私はこうしたい」
「私はこうする」
と迷わず言う友人を目にして、
「どうしてこの人はこんなふうに決められるんだろう」と不思議に思ったものです。
いつの間にか私は、世間で良しとされることにしたがって生きていればそれでいいと考えるようになりました。
今でも悔やまれるのが大学受験のときの学部選びです。
あのとき自分の興味が赴くままに選択できていたら学生生活も、その後の職業選択も変わっていたかもしれないと感じます。
父に言われるまま全く興味が持てない法学部を受験したことで、やりたいことのないチャランポランな学生時代を過ごしました。
結婚後も父に言われたとおりに楽しくもない法律の勉強を続け、司法試験を受けようとしていましたし、大事な我が子たちまで父の眼鏡に適う人間に育てたいと思っていました。
子どもたちには申し訳ないことをしたと今でも感じます。
自分の頭を使って真剣に考え答えを出す、ということを一度も経験しないままいつの間にか50歳になっていました。
ただただ流され、周りに合わせて生きていたのです。
アダルトチルドレンとの出会い
アダルトチルドレンという概念に出会ったとき、私は初めて自分の考えが持てないことが自分のせいではなかったと分かりました。
「なるほど、父のことして平和に生きるために考えをもたないことが必要だったんだ」と納得したのです。
無事に暮らしていく術だったんです。
なんだかとてもホッとしました。
「こうなるしかなかったんだ、仕方がなかった」と分かると、それ以上自分を責めることがなくなり、「ここから変えていけばいいんだ」と思えました。
アダルトチルドレン(以下AC)とは安全な場所として機能しない家族の中で育った人々(斎藤学「すべての罪悪感は無用です」)のことです。
斎藤学氏は「子ども時代に愛着対象(親)からトラウマを受け、それによって力を奪われた人たち」という表現も使ってACを定義しています。
自分の考えを持つという当たり前のことができず、強く主張する人につい従ってしまったり、世間体ばかり氣にしていたのは、私が「自己決定するという力を奪われた」ACだったからだったのです。
「唯一誕生日のプレゼントは何がほしい?」と聞かれることはありましたが、それ以外は父の言う通りにしていれば間違いないと考えていました。
それまでは自分の意見や考えがないことが「自分のせい」で、自分を情けない人間だと感じていましたが、「そうするしかなかった」と知ると、自分責めは止み、「今、この地点から自分の考えが持てる大人として生きていけばいいんだ」と思えるようになりました。
アダルトチルドレンとは
ACは症状につけられた名前ではありません。
臨床心理士の信田さよ子氏は、アダルトチルドレン(以下AC)を「現在の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」のことと定義づけしています。(信田さよ子「アダルトチルドレン」)
つまり、
「自分はどうにも生きづらい」と感じ、その生きづらさの原因が親との関係や経験によって身につけられたものだと感じた人はACだということです。
あなたも、ACだと認識できれば、今の生きづらさは自分のせいではないと分かるわけですから、氣持ちは軽くなり、ただ親との関係で処世術的に身につけたものを手放していけばいいだけと考え、そこから再スタートを切れるのではないでしょうか。
ですからACの形態、症状は様々です。親との関係に起因する症状だというだけでどんな症状をお持ちの方もACとなります。
私は確かに自分がACだと認識するようになってから、大きく変わりました。
今では自分の考えを知る術も自分なりに開発し、自由にそして快適に過ごせるようになりました。
アダルトチルドレンのタイプはさまざまで、私のようなタイプはむしろ少数派かもしれません。
「もっと頑張って」「まだまだできる」と言われ続けたことで、頑張っても頑張っても自分にOKが出せず「もっと頑張らなければ」と感じ続ける心の習慣になってしまったり、
母親に受け止めてもらえないどころか母親の愚痴の聞き役を強いられたことで、無理をして人のために行動してしまうようになったりと現れる症状はさまざまです。
ですがいずれにしても今生きづらさを抱えていて、それが親に強いられてきたことに起因すると感じられる場合は、ACを疑ってみると、自分責めが消え、新たなスタートが切れる点で非常に有意義だと感じています。
奪われた力を取り戻す
ACだと認めることができたらあとはACとしての心の習慣を氣づくたびに少しずつ止めていくといいです。
そしてここで大切なことは頑張ることでは合いません。
進む方向はその真逆で、「頑張らなくていいんだよ。そのままでいていいんだよ」と自分に言い聞かせてあげることです。
できれば毎日、自分自身にゆったり向き合う時間を作り、自分の要望をていねいに聴き取ってあげます。
これはカンタンに思われるかもしれませんが、なかなか継続できない作業です。
それは、向き合うといっても一体どうすればいいのか、具体的に何をすればいいのか、そこで大切なことはどんなことなのか、腹落ちするまでに時間がかかり、日常生活に流されて忘れ去られてしまうからです。
また、自分に向き合い受け入れることは、知識の問題ではなく体験していくことだからです。
アダルトチルドレンを短時間で克服するプログラム、こちらでもご用意しております。
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